てき とう ネトウヨ。 保育園落ちたの私だデモ主催者「自民党支持者はネトウヨ・カルト・差別主義者・老害、ってキャンペーンやるべき」@harumi19762015 ★2

1945年 8月27日 『連合国軍の日本進駐』

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ネトウヨ「支那は差別擁護ではない!」俺「でも差別主義者以外誰も使ってないのはなんで?」 [616817505]

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28 安倍が朝日攻撃で森友加計追及封じへ リテラ 首相官邸ホームページより 異常な森友学園優遇の実態が、本日おこなわれた衆院予算委員会において立憲民主党の川内博史議員の質問により判明した。 まず、財務省全体で2012〜16年度に取引された公共随意契約1194件のうち、売却前提の定期借地契約を結んだのは森友学園のみ。 また、分割契約を認めたのも森友1件だけ。 その上、「瑕疵担保責任の免除」という特約をつけて売却したのも、延納特約を付したのも、売却価格を非公表にしたのも森友だけ。 会計検査院が値引き額の算定方法に「十分な根拠が確認できない」と報告をまとめたように、森友学園との土地取引に財務省による「特別扱い」があったことはもはや歴とした事実。 そして、その取引でどういったやりとりがあったのかは、音声データでも裏付けられている。 しかもきょうの予算委では、昨日、財務省が存在を認めた2016年5月の音声データより前にあたる同年3月下旬〜4月上旬と思われるやりとりをおさめた音声データを、共産党・宮本岳志議員が取り上げた。 この音声データは関西テレビが今年9月にスクープしたもので、本サイトでも既報の通り 【】、国側と森友側の打ち合わせ時に録音されたもの。 つまり、不当な土地取引に向けて、財務省が口裏合わせをおこなっていたのだ。 こうしたやりとりを宮本議員は「これは明確な背任ではないのか」と追及し、安倍首相に答弁を求めた。 しかし、安倍首相は立ち上がろうとしない。 「総理!」という声があがるが、太田充理財局長に答えさせたのだ。 もちろん議長には抗議が行われたが、安倍首相は微動だにせず椅子にふんぞり返ったままだった。 「真摯で丁寧な説明」と言って憚らないのに、事実を突きつけられると沈黙。 しかも、安倍首相は「謙虚」どころか、いつもの「攻撃」に転じてさえ見せた。 逢坂議員は選挙中のテレビ党首討論で安倍首相が籠池泰典氏のことを「詐欺をはたらく人物」と語ったことを取り上げた。 本サイトでも当時指摘をしたが、籠池氏は起訴中でまだ裁判も開かれておらず、すなわち刑も確定していない。 それを総理大臣が推定無罪の原則を無視して「詐欺をはたらく人物」などと犯罪者扱いしたことは、けっして看過できない重要な問題だ。 だが、安倍首相は「詐欺をはたらく人物」と言う前に「『籠池さん自体が詐欺で逮捕され起訴されました。 これはまさにこれから司法の場に移っていくんだろうと思います』ということを述べている」と主張。 無論、「詐欺をはたらく人物」と断言しているのだから、こんな言い訳が通用するはずもないが、安倍首相はなぜか「同時にまた籠池氏はですね」と言い出し、こうつづけたのだ。 「(籠池氏は)たとえば朝日新聞のインタビューに答えて、小学校の申請において、安倍晋三記念小学校と申請したと述べています。 これを朝日新聞は大きく報道し、であるからこそ当然、当局は私とのかかわりを認識したんだろう、と言って追及をし、それをもとにですね、民進党の方々もこれを事実としてずっと私を国会で追及してきたのは事実であります」 「安倍晋三記念小学校という申請をしていないにもかかわらず、申請をしているということを堂々と述べる、そして大きな影響を与える人物であった、こういうことではないかと思います」 ここで安倍首相がもち出したのは、自民党の広報副本部長である和田政宗議員がネット上で大騒ぎをし、昨日の同委で自民党の菅原一秀議員も取り上げた、財務省に提出した設置趣意書に籠池氏が「安倍晋三記念小学校」と記したと朝日新聞の取材に証言した一件のこと。 先日、黒塗り部分が消されたこの設置趣意書が情報公開され、そこに「開成小学校」と書かれていたことから、自民党は「朝日のフェイクニュースだ!」と攻撃している真っ最中だが、ついに安倍首相までもが国会で騒ぎ出したのだ。 さらに安倍首相は、本日の予算委で1回のみならず2回もこの件をもち出したのである。 しかも、あまりに強引なかたちで、だ。 安倍首相が2回目に言い出したのは、希望の党の今井雅人議員の質問時。 今井議員は、2015年4月に今治市職員や加計学園事務局長らが官邸を訪問した際、柳瀬唯夫首相秘書官(現・経済産業審議官)が応対したこと、さらに当時の下村博文文科相が同時刻に官邸にいたとする報道があることを指摘した上で、このときの参加者、会談内容といった事実関係をはっきりさせてほしいと訴えた。 だが、安倍首相は「さきほど下村文科大臣が会っているかのごとくお話をされていましたが、そんなことはございません。 本人も否定しています」と言うと、語気を強めて、またもこう切り出したのだった。 「報道ということであればですね、たとえば朝日新聞は籠池容疑者が言ったことを鵜呑みにして、安倍晋三小学校というですね、申請があったということを報道し、報道をもとにみなさんも質問していたのは事実だろうと思います。 で、事実の根底が覆るということはあるわけでありますから、そこのところはみなさんも謙虚になっていただきたい」 「これは大切なところですから申し上げていますが、ファクトが根本から違っている、ファクトでないにもかかわらず、そういうことがあるんだということを申し上げています」 そして、安倍首相は「ファクトで申し上げますと、今治市職員の方と面会をしておりません。 市長や議長ならともかく、市の課長と面会することはあり得ない」と述べたのだ。 しかし、この朝日攻撃こそがフェイク、明らかな詐術だ。 昨日の記事でも言及したが、今回、公開された設置趣意書にはたしかに「開成小学校」と書かれているが、設置趣意書は複数あるのではないかと見られているのだ。 事実、情報公開請求をおこなっていた上脇博之・神戸学院大学教授もツイッターで〈開示された文書は全部不開示に近かった文書と比べると微妙に異なっていました〉〈小学校設置趣意書は複数あるようなので再度情報公開請求しておきました〉と述べている。 ようするに、「安倍晋三記念小学校」と書かれた設置趣意書が存在する可能性はまだあるのだ。 いや、もし「安倍晋三記念小学校」と書かれた設置趣旨書がなかったとしても、だからどうしたという話だ。 実際、昭恵夫人は2015年9月に塚本幼稚園での講演会のなかで、こんなふうに語っていた。 「こちら(森友学園)の教育方針はたいへん主人も素晴らしいというふうに思っていて、(籠池)先生からは『安倍晋三記念小學院』という名前にしたいというふうに当初は言っていただいてたんですけど、主人が(略)『もし名前を付けていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたい』ということで」 つまり、安倍首相は自身の名前を冠した小学校がつくられることにはまんざらでもない様子だったのである。 そうした事実をなかったことにして、「朝日のフェイクニュースによって籠池氏との深い関係を疑われた」というように攻撃したところで、安倍首相の疑惑が晴れるわけではまったくない。 国民が「森友が贔屓された理由」として考えているのは、小学校名などではなく、名誉校長に就いていた昭恵夫人と籠池夫妻の深すぎる関係を示す数々の証拠があるからだ。 にもかかわらず、安倍首相は鬼の首をとったように、安倍晋三記念小学校の一件を持ち出して「ファクトが根本から違っている、ファクトでない」などとわめきたてたのである。 言っておくが、今井議員が質問していたのは「今治市職員や加計関係者の官邸面談」についてだ。 そもそも質問のなかで「下村議員と面会した」などとは今井議員は一言も言っていないし、「安倍首相が面会したのでは」とも訊いていない。 はからずも安倍首相が「面会なんてあり得ない」と明言した「市の課長」が、国会議員でさえおいそれとは入れない官邸に急遽招かれていることに疑義を呈しているのに、話を森友問題における朝日新聞の瑣末な報道にすり替え、挙げ句、勝手に質問を盛って「ファクト」などという言葉を使って攻撃した。 誰の目にも明らかな不正の事実があるのに、ほんの些細な誤認や未確認事項を針小棒大に騒ぎ立て、報道を「フェイクだ」「デマだ」と全否定。 不正そのものをなかったことにしてしまうのである。 また、安倍首相および安倍応援団がこうした印象操作をおこなうときに、格好のスケープゴートにしてきたのが朝日新聞だった。 安倍首相や安倍応援団は「朝日新聞は安倍叩きを社是としている」などというまったくのデタラメを拡散し、報道を恣意的なものとして封殺しようとしてきた。 しかも、こうしたやり口は自分たちの疑惑や不正だけでなく、戦争犯罪についても使われてきた。 たとえば、従軍慰安婦についても、他紙も一斉に報じているのに朝日新聞の誤報だけを問題にして、従軍慰安婦の存在そのものを否定するような情報操作をおこなってきた。 おそらく、安倍首相とその取り巻きたちは今回、森友・加計問題で従軍慰安婦問題の再現を狙っているのだろう。 いまだ全容は判明してない設置趣意書の一件を「朝日による大きなデマ報道」であるかのように語り、そこから「森友・加計問題は朝日新聞の捏造」なる陰謀論に話を拡大、疑惑そのものにフタをしようとしているのだ。 実際、これまでも安倍応援団メディアや御用評論家・小川榮太郎氏の著書など、少し前から「森友・加計問題じゃ朝日の捏造、創作」とする記事がやたら増えていた。 そして、ここにきて「安倍晋三記念小学校」問題を使った和田議員、麻生太郎副総理、菅原議員、そして安倍首相自身の口からも朝日攻撃が飛び出した。 しかし、こんな卑劣なやり口に騙されてはならない。 森友・加計問題で安倍首相の意向を受けた官邸が行政をねじ曲げたというのは、明らかな事実なのだ。 メディアや野党はひるむことなく、その証拠を徹底的に突きつけていかなければならない。 壊れたレコード 死語か? みたいだ。 質問と答えが噛み合ってない。 何も目新しいものでてこない。 安倍首相が関わってるのかい?— 違和感 sugoiiwakan 失礼。 森友は安倍昭恵さんが。 加計学園は安倍氏が。 28日はすべて野党側の質問で、森友学園の問題を巡り、野党側は安倍政権への追及を強めています。 (政治部・延増惇記者報告) トップで質問に立った立憲民主党の2人は、ほぼすべての質問時間を森友学園の問題に費やしました。 立憲民主党・逢坂誠二議員:「総理の奥様が関わっていたのではないか、総理の親しい友人が理事長だから、そこが何か不都合なことがあるのでは。 いわゆる行政の私物化と言ってよいかもしれないが、その問題がある」 安倍総理大臣:「私が指示したという証拠があるといって議論して頂かないと、反論のしようがない。 全く(指示など)そういうことはしていないとしか言えない」 そして、安倍昭恵夫人ら関係者の国会招致を求めましたが、実現の見通しは立っていません。 野党側は政権を追い詰めるほどの決定打に欠くのも事実です。 さらに、「同じ質問を続けていても逆に批判をくらうだけだ」といった声もあり、質問時間の配分にこだわる野党がどこまで充実した審議ができるのかも問われています。 asyura2. 申請の時点で「これはダメですよ?」って突っ返さなければならないんだよ。 本当に「法廷闘争」になったら、<禁忌罪務省>も<アホサカ犬察>も勝ち目はないのである。

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1945年4月21日『郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ』

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概要 [ ] 歴史的仮名遣とは一般には、中期のによるを修正・発展させ、から終結直後までの公文書や学校教育において用いられたものであり、平安時代初期までの実際の綴りを発掘したものを基としている。 第二次世界大戦の後、の流れによって「現代かなづかい」が告示されるまで、公教育の場で正式な仮名遣として教えられていた。 現在の公教育では古典文学作品における教育でのみ使用される。 なお本項では一般的な仮名によるの意味では「仮名遣」とし、根拠の異なる2系統の仮名遣を「歴史的仮名遣」と「現代仮名遣い」として、表記を統一する。 ただし固有名詞である「現代かなづかい」などの名称についてはこの限りではない。 歴史的仮名遣の原理は、仮名発明当初の表記を、その後の発音習慣の変化()にかかわらず引き継ごうということであるが、現実的には本来の表記を完全に確定できるわけではない。 資料に基づく研究は契沖に始まることにより、まだいくらかの誤りが含まれている可能性は充分にある。 その例の一つが「机(ツクエ)」である。 戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しく調べたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。 ほかにものように諸説あるものは多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。 現在ではや研究の発達により、大半は正しい表記が判明しているが、これらかつて疑わしいとされた、あるいは現在でも疑わしいとされる例はと呼ばれる。 また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣と呼ぶ。 「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。 なお「泥鰌(どぢやう)」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的仮名遣ではなく、の俗用表記法であり、特にその根拠はない。 字音仮名遣の扱い [ ] 漢字音の古い発音や音韻を表記するためにつくられた仮名遣いをと呼ぶ。 歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入ってが『字音仮字用格』(じおんかなづかい)を著すまで正しい表記の定められないものが多かった。 現代仮名遣いの施行まで行われた明治以降の歴史的仮名遣では、字音仮名遣を踏襲したが、本居宣長の研究によっている。 従って広義の歴史的仮名遣にはこれも含むが、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。 また、字音仮名遣は時代(表記された年代や、どの時代における音韻を基準とするかなど)によってその乱れが激しく、定見を得ないものも多い。 以上のような成りたちから、歴史的仮名遣論者にも、「表語(表意)」を重視する立場から見て字音仮名遣を含めない者(・・)と、含める者()とがいる。 前者の主張は漢字自体が表語文字だからということであるが、その場合漢字制限を指してこれに反発した(後述)。 字音仮名遣の体系的な論については、を参照。 歴史 [ ] 契沖以前 [ ] 江戸時代の契沖が仮名遣についての研究を世にあらわす以前、仮名遣にはおよそ以下のような推移があった。 国語表記の始まった上代の(万葉仮名)では、が行われたが、初期にが発達して借字が衰退し、同時に上代特殊仮名遣も衰退した。 平安中期になると「」にみられるような、との区別が上代特殊仮名遣の衰退と共に薄れた。 こうした表記上の変化については、時代とともに日本語のが以下のように変化したことによると推測されている。 平安初期に上代特殊仮名遣が消失、甲類乙類が同化。 平安初期から中期にかけての上代特殊仮名遣の衰退に合わせて、「え」と「ヤ行え」の区別が消失。 が平安中期(ただし既に奈良時代から始まっていたとする論あり)から長い時間をかけて滲透、語頭以外のハ行音がワ行音となる。 平安中期以降、「お」の音が「を」に変化合流する。 平安中期あたりから「ゐ」・「ゑ」と「い」・「え」の混同が見られ、鎌倉時代にはほぼ合一する。 だいたいこれが主な表記同化の流れである。 表記が同化した理由は、多く「音韻が変化したため」と推測されているが、上代特殊仮名遣に関しては特に異論が絶えない。 ともかく何らかの理由、一般には音韻変化により表記が変則的なものとなり、合理性や正則性を重んずる上で不都合が生じたと推測されている。 『仮名文字遣』の序文には「文字の聲かよひたる誤あるによりて其字の見わきかたき事在之」(文字の音が重なって誤りがあるから、だからその文字の区別を示す)とあり、つまり変則を誤りとして、正しい表記を指南する必要が生じた。 これが仮名遣が考えられるようになった起こりである。 ただし当時の仮名は、日常で使用する限りにおいては、その使用を妨げるほどの表記の混乱、すなわち変則はなかったことも指摘されており、この変則を交えながら慣習的に使われていた仮名遣は「平安かなづかい」とも呼ばれている。 になると、が仮名を表記する上での規範を必要として仮名遣を定め、その著作『』の中でその語例を示した。 のちにがそれを補充整理して著したのが『』である。 このなかで示された仮名遣をとも呼ぶが、これが一般には「」と称されるものである。 その後この定家仮名遣が教養層のあいだで権威とみなされていた。 『仮名文字遣』は以後もその語例が後人によって増補される修正がなされた(定家仮名遣の項参照)。 しかし、定家の調べた文献は充分古いものではなく、すでに音韻の変化により変則した表記を含んだものであった。 また、「を」と「お」の仮名については、当時の語のに基づいて表記が使い分けられたので、上代のものとは異なる仮名遣を記す用例が出る結果となった。 国学における研究 [ ] 仮名遣が音韻の変化する以前の古い文献に基づいて研究されるのは、契沖の「契沖仮名遣」に始まる。 初期の時代、僧契沖が『』を著し、充分古い時代の仮名遣を明らかにした()。 これは『』や『』などの古い文献に基づき定めた点で、国文学の研究上画期的なことであった(国文学の原流となる)。 契沖は「居(ゐ)る」と「入(い)る」 などのように、「語義の書き分け」のためにあると結論し、はこれを「語義の標識」と呼んだ。 江戸時代中期にはや本居宣長がを修正し、また、仮名遣とは発音の書き分けであり、その後の混乱は発音の歴史的変化により生じたものであることも明らかにされた。 これにより歴史的仮名遣は表記の上で、また理念の上からもほぼ完成の域に達した。 同時にこの頃に本居宣長はを定めた。 字音仮名遣の賛否は、現在の歴史的仮名遣論者でも分かれる。 江戸後期には本居宣長の弟子が『』と『』を著し、上代特殊仮名遣の存在が明らかとなった。 は『』で、石塚龍麿による上代特殊仮名遣を過去の発音の相違によると推定した。 なお上代特殊仮名遣についての研究は6年()、が『帝國文學』で発表している。 明治以降 [ ] 時代になって公教育では、上で述べた契沖以来の国学の流れを汲む仮名遣を採用した。 これが歴史的仮名遣と呼ばれるものである。 歴史的仮名遣とは契沖仮名遣と字音仮名遣であった。 前後以来、国語の簡易化が者によって何度も主張された。 それらはを廃止して()や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代わりにの採用を主張するものもあった。 表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的仮名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することでにかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。 これに対して(彼は陸軍省の意向も代弁した)やといった文学者、ら国語学者の反対があった。 このように民間からの強い批判を背景として、1900年のいわゆる「棒引仮名遣い」はあまり広まらないまま廃止された。 また、国語調査会の仮名遣改定案 も強い反対意見に遭って公布には至らなかった。 その後新たに設置された国語調査会によってに「」が発表されたものの、これも戦時下のため行われなかった。 21年 、 GHQ の民主化政策の一環として来日したの勧告により政府は表記の簡易化を決定、「歴史的仮名遣」は古典を除いて公教育から姿を消し、「現代かなづかい」が公示され、ほぼ同時期にローマ字教育が始まった。 以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的仮名遣は旧仮名遣(旧かな)と呼ばれる様になった。 さらに昭和61年 、「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」に修正される。 なお、も同時になされ、(現・)の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」や「表外字の置換え」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。 当用漢字以後はが司法省(法務省)により定められ、漢字制限はJISも含めて混沌としたものとなっている。 歴史的仮名遣論者では多く漢字制限にも反発することが多い。 福田恆存などは、全ては国字ローマ字化のためである、漢字制限に際しては改革案がCIEの担当官ハルビンによって「伝統的な文字の改変は熟慮を要する」と一蹴されたにもかかわらず断行した、と糾弾している。 歴史的仮名遣論者からも字音仮名遣に対しては批判があがることがあり、字音仮名遣と歴史的仮名遣に対する立場は一様ではない。 表記の実際 [ ] 歴史的仮名遣表記の原則は、仮名文字出現当時の表記、つまり当時の発音通りの表記を踏襲するということである。 これを現代仮名遣いとの比較において記述すると、まず両者の相違は現代仮名遣いにおける次の表記の箇所に限られる。 わ い う え お• おう こう そう ・・・• きゅう しゅう ちゅう ・・・• きょう しょう ちょう ・・・• じ じゃ じゅ じょ ず これ以外の表記の部分は仮名遣いに関係しない。 具体的な相違は• 現代仮名遣いの語頭の「い・え・お」には歴史的仮名遣で「ゐ・ゑ・を」となるものがある。 語頭以外の「わ・い・う・え・お」の多くが「は・ひ・ふ・へ・ほ」となり、「ゐ・ゑ・を」となるものもある。 (動詞の活用形を正しく表記するためには「ヤ行・ワ行」の動詞に注意する必要がある。 「おう・こう・そう…」の多くが「あう・あふ・かう・かふ・さう・さふ…」となる。 「きゅう・しゅう・ちゅう…」の多くが「きう・きふ・しう・しふ・ちう・ちふ…」となる。 「きょう・しょう・ちょう…」の多くが「けう・けふ・せう・せふ・てう・てふ…」となる。 となるものがある。 なお、字音仮名遣については別項で扱う。 現代仮名遣いへの批判 [ ] 後に行われたに対しては、批評家・劇作家のが1960年(昭和35年)に『』を書き、現代仮名遣いに論理的な矛盾があると主張し批判を行った。 現代仮名遣いは表音的であるとするが、一部歴史的仮名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。 助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。 また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。 その後、国語審議会から「者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。 (昭和61年)にから告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、のやに深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。 歴史的仮名遣の現在 [ ] 現代仮名遣いは戦後、速やかに社会に定着し、1970年代以降は公的文書、新聞はもとより、小説や詩に至るまで、ほとんどが原文の仮名遣いの何如に関わらず現代仮名遣いで出版されるようになった。 (ただし詩歌については、現在市販されている各社の文庫本も含めて、仮名遣いは原文の表記を尊重したものが概ね出版されている。 )しかし仮名遣いの見直しを含む国語改革への批判と歴史的仮名遣の復権を主張して歴史的仮名遣での出版を続けた者はその後も少なくなかった。 文学者では、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、等、研究者では、、、、、、、、、、、等がいる。 や、、、等にも歴史的仮名遣によって公刊された著作がある。 または現代仮名遣いを「文法的に考えて欠陥が多い」として現在でも歴史的仮名遣で発行している。 で習慣が定着し始めた当初は、すべてのが現代仮名遣いを当然の前提としていたことから、歴史的仮名遣で文章を書くことの困難は避けられなかった。 その後、歴史的仮名遣を扱う(『』や『』文語モード)が出現し、さらにはシェアの大きいやOSを問わず使用可能な向けにフリーの(『』)が提供され、字音仮名遣を除く一般的な歴史的仮名遣の文章入力が比較的手軽なものとなった結果、インターネット上の一部では歴史的仮名遣が根強く行われている。 なお、現代仮名遣いは原則としてについてのみ使用され、古典文化には干渉しないとしたことにより、によって作品を書くやの世界においては歴史的仮名遣も一般的である。 またにおいては、現代でも以下のように歴史的仮名遣が使用されている場合がある。 株式会社• 渋谷区の地名「」の由来、ローマ字表記は YEBISU• ヰセキ(のブランド)• (あ づみのし)• (ち づちょう)(字音仮名遣の例) 脚注 [ ].

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